毘沙門天立像 像高 42.0p 写真は地震による破損以前に撮影

石動山天平寺仏像4躯

  能登半島の中ほどにある石動山(せきどうさん)は山岳信仰の霊場として栄えた。石動山天平寺は、最盛期の中世には坊約360、衆徒3,000人を擁していたとされる。
しかし、南北朝時代と本能寺の変直後の二度の全山焼き討ちと明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰退し仏宝の多くは別の寺に移転した。
 今回の事業は平成19年3月25日発生した能登半島地震による被害を受けた仏像で特に修理を急ぐ4躯について実施する。毘沙門天立像は江戸時代初期の造像と推定される。大日如来坐像(胎蔵界)は江戸時代後期に金剛界と同一作者によって造像された作品。虚空菩薩坐像も江戸時代後期の作で、台座、光背も完存していたが、地震により傷む。さらに十一面観音菩薩立像は、慶長14年(1609)加賀藩二代藩主前田利長寄進と銘が残るもの。
 修復は年に2躯ずつ、2カ年が予定されている。

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