(像高72.8cm)

木造薬師如来坐像保存修理

本像は、元禄11年12月に八丈島に流され、12年後の宝永6年(1709年)大
赦によって江戸に帰って後、紅葉山御用仏師となったという菊池民部の作である。像内の墨書や銘札によれば、三宅島満願寺の慈覚大師作という旧像が腐朽破壊したので、元禄12年(1699年)2月に民部が新像をつくり、旧像の頭部(平安時代末期の作と思われる)を像内に納めたものである。
 三宅島噴火の災害から危うく救出されたが、像や台座の矧目がゆるみ、頭胸の肉身部は衣部との矧目が離れて脱落の危険があり、さらに像内に納入する仏頭の損傷も進んでいるので保存修理事業を実施する。

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