高60.6cm 基台幅107.0p 基台奥行19.0p

 木造彩色宝珠台(さいしきほうじゅだい)

  海住山寺の創建は、天平7年(735)と伝えられており、当初は藤尾山観音寺と称したが、保延(ほうえん)3年(1137)に焼失した。その後、承元(じょうげん)2年(1208)に解脱上人貞慶(じょうけい 1155〜1213)が補陀洛山(ふだらくさん)海住山寺と名付けて中興し、今日に至っている。

 本品は、複数の板を矧ぎ合わせて半立体の山形に形成した宝珠台で、内部は空洞になっている。表面には山襞を浅く浮彫りし、全面に漆塗り・白下地を施した上、一方の面に石清水八幡宮とその周辺の景観を、他面に日本書紀に記載のある聖徳太子による勝鬘経(しょうまんぎょう)を講義する場面(勝鬘経講讃)を描いている。山の頂上には窪みが設けられており、ここに水晶製の宝珠を安置したと考えられている。制作年代は明らかではないが、表面に描かれている彩絵の様式等から、鎌倉時代末期ごろの制作のものとみられている。本品には類例が確認されておらず、具体的な用途は明らかではないが、当時の宝珠信仰に関わる遺品としてはもちろん、鎌倉時代に遡る漆工および絵画遺品として貴重な作例である。

 長く未修理であったため損傷が著しく、至急の修理を要する状況にあり、本年度より2ヵ年計画で修復を図る。


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