本紙 33.8cm×95.1cm

無窓国師筆 果山条幅( むそうこくしひつ かざんじょうふく) 

  光雲山崇禅寺は、文和3年(1354)初代妻木城主明智頼重が菩提寺として創立した、臨済宗妙心寺派の寺院である。

 鎌倉時代の執権・北条時宗が招いた中国の宋随一の高僧といわれた無学祖元(むがくそげん)の高弟・高峰顕日(こうほうけんにち)の弟子のうち夢窓疎石(1275〜1351)、仏徳禅師(ぶっとくぜんじ 1323〜1409))、此山妙在(1296〜1377)は三傑といわれ、美濃の禅宗史の上で欠くことのできない重要な人物である。

 この条幅(大判の用紙である画仙紙を縦に半分にした半切(はんせつ)に書かれた書画を掛軸にしたもの)は、多治見市にある虎渓山永保寺の三世・果山正位(かざんしょうい)によって崇禅寺が開山されることを期して、果山禅師の師・仏徳禅師の法兄に当たる夢窓疎石が果山に揮毫して与えたものであるとされる。紙本に「果山」と大書し、その二字の間に「夢窓」の陽文方印(文字部分が浮き出るように彫られた正方形の印)と「疎石」の陽文鼎印 (かなえいん:鼎を象形化した印)が押されており、夢窓疎石の筆になるといわれている数多い書の中で、真筆と認められる貴重な筆跡である。

 しかしながら、本紙に夥しい折損や亀裂が認められ、折れに沿って本紙料紙の剥離が生じてきているほか、墨や落款は長年の擦れにより文字が薄れている箇所が散見されており、本格的な修復が必要となっている。


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