弁財天坐像

                          像高 18.2cm

 木造 弁財天坐像(べんざいてんざぞう)及び十五童子像(じゅうごどうじぞう)

 本像は、江戸時代に海運業で繁栄し盛岡藩の財政を支えた前川善兵衛家に伝わる、厨子に入った弁財天と十五童子の像である。宝永4年(1707)、前川善兵衛家の繁栄の基礎を築いた三代助友と分家梅屋善右衛門が、家業と一門のさらなる繁栄を祈願するため、安芸国厳島、近江国竹生島、相模国江ノ島の弁財天に擬えて大槌湾(おおつちわん)に浮かぶ蓬萊島(「ひょっこりひょうたん島」のモデルの1つといわれている)に奉納安置していた。その後劣化したため、島には新規に別の像を制作安置して、本像は修理して屋敷神として本宅に稲荷神と並べて祀り、地元の人々も含め、代々信仰し続けてきた象徴的な仏像である。弁財天の像容は均整がとれて美しく、福徳を授けてくれる神にふさわしく、髪は黒々と豊かで、頬はふくよかで気品に溢れている。

 東日本大震災時の津波で、流失こそ免れたものの、大量の土砂を含む海水による被害を受け、震災から10年を経過する中で、海水と砂が経年劣化に拍車をかけ、持物や十五童子の一部も欠損しており、早急な修理・保存がもとめられている。


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