773通、20冊

 東慶寺文書(とうけいじもんじょ)

  北条時宗の正室である覚山尼(かくさんに)(1252〜1306)によって弘安8年(1285)に開創された東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院で明治に至るまで尼寺であった。近世初頭に豊臣秀頼の娘天秀尼(てんしゅうに)(1609〜1645)が入寺し、徳川家康に「開山以来」の縁切寺法の維持を願って許されたとされていることから、縁切寺あるいは駆込寺として知られている。
 東慶寺文書は、駆込みの様子から寺法の取扱い、駆込んだ女性の救済の様などを明らかにすることができる稀有な史料群である。
 経年による劣化、虫損などにより、本紙を開くことができない文書や、本紙が分離しているものもあり、早急に保存修理を行う必要がある。


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